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撮影:和歌山県かつらぎ町 [申]

衣装も含め、全体のイメージのベースはさるかに合戦。一瞬さるすべりの木も考えたが、ここは正統に柿の木を探すことにする。柿の木というのは登ることを考えると結構難しい木である。「柿の木はサクイ」といって、幹、枝が重量に弱く、他の木に比べると裂けやすい。田舎の国道などを走っている時に、カラスウリくらいの大きさの小さな柿がたわわに実っている木を見かけることがあるが、あの手の木は枝も幹も細いし、ひょろひょろと伸びた木の先に実がついているので、仮に幹に登ったとしても、
実までが遠くて、カメラのフレーム内のバランスが悪くなる。かぶりつけそうなくらいに近くで、あまり高く登らず。。。という好条件の柿の木はなかなか見当たらない。

「柿の名産地」で検索すると、和歌山県かつらぎ町には柿の木がたくさん生えた地域のあることが判明。とりあえず現地に向かうことにする。

真田幸村が隠遁生活を送っていた九度山、高野山にもほど近い国道480号線沿いの山の柿の木エリア。もちろん、自然ではなく、手入れされた柿の木畑(?)である。11月の下旬、人影はない。実はまだまだなっているが、ここに来る途中も吊るし柿がたくさん軒下にぶら下がっていたことを思うと、今日は取り入れ日ではないのだろうか?

「らっきー、さあ、撮影撮影」

道端に車を留め、手頃な柿の木を探しながら山を登る。結構な斜面で、落ち葉の層が厚いため、足下がすべりやすい。三脚を担ぎ、カメラとレンズの入ったケースを持ったカメラマンと、衣装を一式もった化粧済み、ヘアセット済みのモデルが柿の木を探してえっちらほい。

あった。Yの字になった太い幹の、1.5メートル程のちょうど登りやすそうな木。フレームの切り取り方で高い枝のように見える。

「はい、じゃあちょっと木の上飛んでるみたいな感じで」

「ちょっと腰ひねって」
「そんなことしたら落ちる」
「大丈夫、落ちても知れてるから」

切磋琢磨の撮影は進む。。。。
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衣装コンセプト/申 [申]

正義のヒーローのような、でも悪の面もあるような、というきわどいところが、今年の狙い目である。京劇のようでいて和風。陣羽織の背にはさるかに合戦のもう一人の主人公であるカニが大きなはさみで狙っている図がある。背後から狙われながらも、嬉々と枝を飛び回るサル。
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太閤さんとサル [申]

「サル、サル」と呼ばれた武将がいる。百姓の倅から一気に最高権力者、関白太政大臣にのし上がった豊臣秀吉である。猿面冠者といわれた風貌は、肖像画から想像するばかりである。芸能人などで例えればどうなるのだろう。ちなみに来年のNHK大河ドラマ「天地人」では秀吉役は笹野高史である。ちなみに「功名が辻」では柄本明。「利家とまつ」では香川照之、「秀吉」では竹中直人が演じていた。肖像画からいけば、笹野高史が一番ハマっているように思う。

さて、秀吉は少年時は日吉丸といったそうである。日吉神社にちなんだ名前に、容貌が「サル」なんて、山王信仰を意識した出来過ぎの話のような気もするが、どうだろうか。
「常識的な歴史の史実」は、かなり胡散臭い面を持つと思っている。例えば「本能寺の変」。いじめによる恨み、または天下取りの野望を持った光秀が京都の本能寺で信長を討ったというのが一般的見解の歴史上の出来事である。近年、この本能寺の新たな黒幕説が盛んに発表され、なんでも40項目程の説に分けられるそうである。確かなのは天正10年6月2日を持って、それまで近畿に置ける武力権力のトップに君臨していた織田信長なる武将が表舞台から姿を消したということだけである。

歴史の事実など未来からは分からない。その時々の勝利者が自己の正当性を主張するために記したものが「一般的歴史」と認識されるのである。歴史的大悪人とされる蘇我入鹿、吉良上野介、井伊直弼でも、時勢で敗者の側にたってしまったがために、悪役の汚名を一身に背負わされているに過ぎないと思う。歴史の教科書ではなく、地元誌をひろっていくと、これらの人々はむしろ人徳を有する篤実な人物であった評が高い。

正史の記述といわれるものは、基本「勝利者」サイドのものである。「勝った者勝ち」で、粉飾も改竄もありの世界なのだ。

と。ずいぶん話が飛んでしまったが、「日吉丸」に「サル」、どうも秀吉のお母さんは日吉神社の「猿信仰」に厚かった人なのではないかと思ったのであった。
偉くなった後に、「猿面」を揶揄されて怒り狂ったというから、容貌が猿に似ていたのは、説得力があるような気がする。「日吉丸」はおそらく後のこじつけではないか。。。と思ったりする。


魔除けの猿 [申]

類人猿とも言われるように、猿は人に一番近い動物である。
日光東照宮の三猿に代表されるように猿の行動様式は他の動物に比べて人間に相当近いように位置づけされる。猿は「去る」に通じるということから「勝る、優る、魔去る(まさる)」につうじる「ましら」と呼ばれることもある。

猿は魔除けの象徴とされ、鬼門封じにも活躍する。京都の東山に赤山禅院という比叡山延暦寺の別院がある。祭神は泰山府君、陰陽道の寺である。泰山府君はスサノオ、三輪明神、牛頭天王、福禄寿などと同一視される、北極星を象徴する陰陽道の祖神である。入り口には鳥居が建っていたりするので、寺なのか神社なのか、なんだか分からないところに、日本における神道・仏教・密教・禅・修験道・陰陽道その他もろもろの習合が現れているようで面白い。
この別院は平安京から見た東北・鬼門を封じるために置かれたという。地理的には平安京から比叡山に向かって引いた線上に位置する。

赤山禅院の屋根の上に駕篭に入れられた猿の像がある。魔除けの猿が逃げ出さないように駕篭に入れられているらしい。

一方、比叡山を大津側に下りた坂本に日吉神社がある。
祭神は、もともと「日枝山(ひえのやま=今の比叡山)の山の神であった大山咋神と、大和三諸山から勧請してきた大三輪神(大物主神)である。その後、比叡山延暦寺の天台宗の本家に当たる中国の天台山の地主神である「山王弼真君」にちなみ。この両神を「山王」と呼ぶに至った。全国に見られる日吉神社。日枝神社、山王神社はここから発生していったものである。

この神の使いが猿なのである。いわゆる「猿信仰」というものらしい。
今近畿で猿の有名どころと言えば大阪の箕面の猿が有名であるが、きっと昔は比叡山にも猿が縄張りをもって悠々と暮らしていたのだろう。

猿はまた馬の病気を治す守護神であるとされ、昔は正月の門付に猿回しが厄を祓って歩く光景がよくみられたとか。

鬼門を封じる、魔を払うという役所をあたえられたからこそ、猿は鬼退治で大活躍する。桃太郎の一番家来である猿は、そういうことである。ちなみに家来三人衆、猿・鳥(キジ)・犬は、十二支を方角で示した図では丑寅(うしとら・鬼門)の対局にいる。とても良く出来た配置である。

申・猿のイメージ [申]

1。 さるかに合戦
1。 孫悟空

日本人であれば、猿のイメージといえばこの2つが上位有力候補なのではないだろうか?
さるかに合戦の猿は、一見いい人を装って、あとで性格の悪さを露呈する悪役、孫悟空は初めは悪ザルのボスだったが、改心して正義のヒーローになる。
いや、これは年齢層の高めのことであって、若い世代はモンキーパンチのルパン三世とかターザン。。。いや、これらも結構古いか。。。?

私には両方に思い出がある。まずさるかに合戦。お話の中でかにはさるにもらった柿の種を育てる。私の家の庭には柿の木がどーんと一本生えている(蛇の項で蛇の巻き付いていた木の隣に。。。)。記憶はないが、私が小さい頃に食べた柿の種を両親が植えたものである。普通柿の木というのは、横に枝を張っていくものらしいが、my柿の木は上へ上へと伸びる。渋柿であるが、毎年結構な数の実をつける。実のなる年、ならない年と、1年毎の周期があるのだが、なる年には高さ8センチくらいのものが200程なるので優秀な方だと思う。その皮をむいて吊し柿にし、お正月に備えるのが、父の楽しみのひとつである。

さるかに合戦の絵本で、かにがはさみに柿の種をはさんでいる絵を見るたびに、絵本の柿の木を庭の柿の木にスライドさせて情景を想像して楽しんでいたものである。

「孫悟空」。小学校高学年の時、何のイベントだったか忘れたが、クラスで「孫悟空」の劇をした。講堂のステージだったので、クラス内でのお楽しみ会ではなかったように思う。私は友達と二人で観音様(?)の役だった。残っている写真をみると、シーツを袈裟のように身体に巻き付けている。雲の絵の後ろに台車をつけた悟空の乗る金斗雲を作ったり、楽しい思い出である。そういえば小学校の頃から劇や創作が好きだったな。「三つ子の魂百まで」である.
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「鳥獣戯画より」


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